小天橋地域はかつては「日間の松原」と呼ばれ日本海と久美浜湾の間のあり、青々とした松林と白砂に囲まれた風光明媚な中州でした。
日間浦(ひまうら)とは現在の久美浜湾のことで、その昔は松江(しょうこう)ともいわれていました。 長さ7キロにもおよぶ白砂青松の砂浜は「日間の松原」と呼ばれています。 その悠久の地にかつて「五軒家」といわれる廻船業・両替商・酒造業を営んでいた豪商がありました。 今は、夏は海水浴、冬はカニ・カキで賑わう「小天橋」。その昔、こんな隆盛を極めた歴史がありました。
五軒家の歴史を歩きながら巡ってみませんか。蛭子(ひるこ)神社からスタートして風蘭の館までのコースです。



湊の五軒家は金融業両替商、晩年には酒屋酒造家でした。小西家が一番古く、小西家は本座屋(ほんざや)、分家に新シ家(あたらしや)、下屋(しもや)とあり、ほかに木下(きした)、五宝(ごぼう)家がありました。
いずれも間口が20間から30件奥行きが一町ありました。本宅、離れ座敷、隠居、土蔵、納屋、門屋など30棟の建物が建ち並んでいたといいます。
小西家は一番早くから湊にありました。祖先は、小西隠岐の守盛信。宮津の見衆参におつかえになっていました。一色家の家来で、勇猛果敢な豪傑でした。一色家が滅び、一色、松井佐渡守に仕えました。慶長5年攻め来る石田勢を防ぎきれず、武士をやめて民間人になったといわれています。
松井与八郎の墓(町指定)
1基 天明3年(1783)
松井与八郎の墓は、宝泉寺にある。文禄2年8月15日遂に卆した松井与八郎は、「海の見える場所に」との遺言によって、当寺に葬られた。
天明3年(1783)に、現在の五輪塔が松井家によって建立された。塔には戒名、霊松寺殿月潮正円禅定門の文字が刻まれている。
松井与八郎は久美浜松倉城主松井佐渡守康之の長男である。与八郎は文禄元年(1592)豊臣秀吉の朝鮮出兵に、父康之と共に参加した。しかし戦場で病に倒れ、帰国後間もなく文禄2年(1593)8月15日に没した。


五軒家の中には学者文人が輩出し、小西家下屋二代小西伯熙(1748〜1819)は内湾に向かって聚景楼(しゅうけいろう)という楼閣を築いて文人墨客を招き詩酒風流の会を催したという。 自らも「松江近体詩」(しょうこうきんたいし)という詩集を寛政7年(1795)に発刊した。
「日間浦十二景」は天橋立が天下にその名を知られているのに、日間の浦(久美浜湾)はその蔭に隠れて知られていないことを遺憾とし、この楼より一望できる日間の浦の勝景十二を選び交流のあった当時一流と目される学者、詩人、高僧に詩を求めたもので、「松江近体詩」に収められている。


干石船の模型が、蛭子(ひるこ)神社(湊宮)や広峰(ひろみね)神社(大向(おおむかい))に 奉納されており、当時を偲ばせてくれる。
当社は元、日留居大明神と唱え、四神ケ嶽(ジジラ)に奉斎していたものを、鎌倉時代の建暦年間(1211〜12)に現在の地に奉遷したものと伝えられる。『玉葉集』に鎌倉右大臣実朝の歌で「神風や朝日の宮の宮移し影のどかなる代にこそありけれ」とある。ここに歌われている朝日の宮とは即ち当神社であり、社殿の造営がなり、遷宮の様を詠じたものである。後年社殿の炎上焼失により大永2年(1522)8月再造営した。


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